市役所を退職してぶらぶらしていた私は、縁あって平成14年4月1日岡崎平和学園に勤めることになった。学園は緑に囲まれ、環境には恵まれたところにあった。
しかし、施設の中に一足踏み入れると、窓下の植え込みの中には、タバコの吸い殻が散乱し、運動場は笹竹に侵食され、遊具も草におおわれていた。笹竹の林には、菓子袋、ジュース、ビールの缶等が、あちこちに散らばっていた。男子棟の部屋は開き戸で真昼でも廊下は薄暗く便所はタイル張りで、異臭が漂っていた。
職員に挨拶しても、無表情な挨拶がかえってくる。そこで、職員集団に入れない私は、ビニール袋と片手には火ばさみを持って園庭に散らばっている吸い殻、ビニール、空き缶等を拾うことを日課とした。
職員に気兼ねをして、園庭の草取りをしていると、主任が飛んで来て、草取りは私達でしますからと言った。「暇だからいいよ」と言ったものの内心、これで職員の仲間になれると思った。しかし、職員が心を開いてくれるまでの月日は1年かかった。
食堂は狭すぎて肩をすぼめて食事を摂っていた。職員にむかって、「ソースを持ってこい」と怒鳴っている子どもの声が気になった。
暗い部屋、せまい食堂、こんな環境では子供の心は癒されない。部屋は少しでも明るくしたいという思いで、男子棟の部屋は引戸にかえ、ピータイルが剥がれコンクリートむき出しの汚れた廊下には、生命力の強い樅の木が子どもに良いと聞き、その板を張り、部屋の壁面、異臭の漂う便所は木の香漂う板を敷き詰め、子供の心が癒されるように改修した。
調理室は調理員休憩室を他に設け、食堂は廊下部分を取り込んでそれぞれ少しでも広く楽しく食事ができるように改修した。
なかでも、私が心痛めたことは、夜眠れない子ども達であった。「お母さんに会いたいよう!」と眠れず泣き叫ぶ子ども。保育士さんは「もうすぐ、お母さんはお迎えに来てくれるからね」と抱いて寝かせております。保育士さんはお母さんが迎えに来てくれないとわかっているのに寝つかせるためには、「お母さんは迎えに来るよ」と子どもに嘘をつかなければならない。「私って偽善者なんですね。」と悩む保育士。
塩尻まで、自転車で祖父母に会いに行ったが、相手にされず泣き泣き岡崎に来た中学生が学園に入ってきた。しばらくして、学校へ行くのは嫌だと言い出した。彼と私は話し合う事になった。「君は学園に来たいと思って入ったわけでもない。学園が好きでもないかもしれない。しかし、私たちは君を好きだし、君は学園にとって大切な、大切な子なんだ。勉強ができなくてもいい、辛いだろうが、学校に行って欲しい」と彼を諭していると、彼の眼から涙が溢れてきた。
私はマザーテレサの言葉「最も悲惨なことは 飢餓でも 病気でもない。 誰からも見捨てられていると感じていることだ」の言葉を思い出し、学園には「いらない子は一人もいない」を合言葉として、子育てに心がけて行こうと職員に話をしていった。
学校が休みとなれば、子どもたちは外出をして行く。ジャスコに遊びに行った子どもが万引きをしたと店から電話が入り、早速引き取りに行った。盗ったものはガム、飴等沢山の駄菓子であった。自分一人では食べ切れない程のお菓子で万引きをする理由がつかめない。その代金を支払い、私は子どもを抱きしめ、「お前のような良い子が何故こんなことをしてしまったんだ。おじいちゃんが知れば、きっと悲しむよ!中島先生もみんな泣いているよ」と言い聞かせました。その後、彼女が万引きをしたという報告は受けていない。
「子どもたちには、お前は良い子だと言い続けよう!この言葉に賭ければ、少しでも良い子になる可能性があるのではないか? いつも、いつもお前は悪い子だと言っていれば100%悪い子になる。」「良い子だ、良い子だと子どもを見ていけば、良い子になる可能性があるのではないか?だから、それに賭けよう!」と職員に訴えていった。
拘禁されていた父親が子どもに会いに来てくれた。生まれて両親の顔を見たこともない。まして、母親にも抱かれたことはない2歳もすぎた子は父親の膝に乗っても、無表情で、きょろきょろし、抱きつこうともしない。別れの時、父親の手を振切って友達のところへ飛んで行ってしまった。あくる日、昼食の時私の肩をたたき、園庭を指差し、パパ!パパ!というではないか。「お父さん来てくれて良かったね」と言うと、満足そうに食べ始めた。
子どもたちはお父さん、お母さんが引き取りに来てくれることを待っています。小学5・6年にもなれば、どうして施設に居なければならないか?疑問を抱き、親にこの悩みをぶつける。受け入れ態勢が不充分で、家庭に引き取れなくても、子どもに負けて、仕方なく、「家に帰って来れば」と母親は子どもに言ってしまう。しかし、児童相談センターは家庭環境が不充分であれば、許可をすることができない。家庭に帰れないと聞かされた時、子どもは今まで慕っていた職員に反抗的になり、不登校、「いじめ」等問題行動を起こす場合もある。学園で生活しなければならない理由を子どもに納得するように話をして欲しいと親に指導しても中々効果が得られない。仕方なく親を説得して引き取ってもらった事もあった。
この時期の指導は一番難しい。子どもの目が外に向かい攻撃している状態から、自分自身を見つめることができるまで待つしかない。子どもが気づくまで、私たちは耐えるしかなかった。子どもにとって親こそが心の支えである。親を超える指導は難しい。
雨に濡れて帰ってくる子を出迎えて、「お帰り!寒かったね!」と声をかけても、にらみつけて、無言で部屋に走って行ってしまっていた子が、退園して家に帰ると、学園の方が楽しかったという声を聞くと今までの事はすべて忘れてしまう。
不登校の子どもの登校指導も難しい。勉強しようという意欲もない子を無理やり学校へ行かせ、授業妨害をされたら、学校もたまらないという声が聞こえてくると登校指導も力が入らない。私の小中学生のころを振り返ると、宿題などしたことは殆んどなかった。夏休みの日誌も中途半端であった。勉強ができなくても、学校では放課時間の10分程の短い時間に友達と馬乗りをし、相撲をして遊ぶことが楽しく、休まず通った。私には学校に居場所があった。不登校で悩んでいる子どもは学校には居場所がないのではないかと思うのは単純な発想だろうか?
この頃、学園に来る子供たちは発達障害、知的障害等多様な問題を抱えている子どもが増えてきた。このような子供たちのために、平成20年4月1日に、民家を借りて「ひだまり」と命名した地域小規模児童養護施設を発足させた。当初、本園に帰りたいという子供、満足に登校できない子供もいたが、隣近所の人たちの温かい眼差し、地域の子供会にも支えられて地域に解け込んでいくなかで、中学校の3年間不登校気味ではあったが、高校に入学してからは休まず、学校に通っている。
土曜・日曜となれば、卒園した子どもたちが、5人、6人とわが子を連れて遊びに来る。職員室は2・3歳児が遊びまわる。母親が私をおじいちゃんだよ!と言うと子どもがじぃちゃんと言って抱かれてくる。沢山の孫ができ、うれしくなる。
学園にいたころは悩ませくれた子供たちであったが、うれしそうに子連れで訪れてくれると、職員達は今までの苦労が報われ、施設職員としての喜びを噛みしめている。
今では、岡崎平和学園が巣立った子どもたちの在所となった。そして、サッカー教室を開く等地域に開かれた施設づくりを目指していますが、施設運営に様々な障碍が生じております。学園の定員は70名で、一時保護の子どもを入れると76名以上、子どもを入れることもありました。また、部屋の数も少なく、8畳の部屋に9人もの子どもを入れざるを得ません。さらに、学園には壊れそうな風呂が1か所しかなく、増設しようと計画したが、地主の理解が得られず、断念せざるを得なくなった。追い討ちをかけるように、地主は平成20年4月1日より、月65,000円の地代を、月300,000円(4,6倍)に値上げを要求してきました。
現在、牧野・桜井法律事務所の牧野 守先生がボランティアで弁護を引き受けていただいており、頭の下がる思いです。
地代は平成17年4月1日より、施設の運営費で支払うことができるようにはなったが、別枠で地代分が国から支給されておりませんので、子どもたちを育てる運営費を節約して支給しております。ところが、平成17年3月31日以前は施設の本部会計から支出しておりました。本部会計の収入は皆さんからの善意あふれる寄附金だけです。ですから、寄附金は地代として、前オーナーに支払ってきましたので、岡崎平和学園の本部会計には全く蓄えがなく、施設の建設には非常に支障となっております。
ボランティアの少なかった学園には白鳥子ども会はじめ地域の方々、岡崎さくらライオンズクラブ、トヨタ自動車SX会、岡崎市従業員組合、岡崎ローターアクトクラブ、おやじの会、その他多くのボランティアに支えられ子どもたちは育てられていますが今後、施設の存続が心配される状況でもあり、移転も視野に入れて考えざるを得なくなってまいりました。そこで、急遽、平成21年3月15日、子どもたちの希望に叶う児童養護施設「岡崎平和学園」につくるため、後援会を設立しました。私は後援会活動に専念するため、平成21年3月31日、園長の職を辞し、後任は柴田市長様に依頼しましたところ、前矢作西小学校長上川先生をご紹介していただき、就任致しました。
後援会には平和学園の卒園生も役員に加わってくれましたが、まだまだ、力不足です。多くの方々が役員、または会員に加わっていただいて目的を達成したいと思っておりますのでご協力をお願いいたします。
文責 前岡崎平和学園長 堀田 晋
岡崎平和学園後援会については、岡崎平和学園後援会事務局に問い合わせください。
住所 〒444−0811 愛知県岡崎市大西町字揚枝12番地岡崎平和学園内 会議室
電話 0564−28−9905